7月30,31日に開催されたサンスSens市のペタンク大会に参加した。
前回書いたように、私のチームは1日目で予選敗退し、パートナーのジャン・ピエールJean pierreが体調不良で倒れたため、2日目の交流トーナメントは出場できなくなった。
それで、2日目の今日は大会見学に行って有名選手の写真を撮ったりサインを貰ったりしようと考えていた。
そうしたらピエールPierreが現れ、チェコチームも昨日予選敗退したから今日は交流トーナメントに出るが、ダブルスのトーナメントに出るのでメンバーのダナDanaが余っている、
だからお前がダナDanaと一緒にダブルスの交流トーナメントに出てくれないか?、と言うのだ。
ダナDanaはチェコの全国大会で優勝した選手だから心配いらないよ、とピエールPierreが言うが、それはかえって私のプレッシャーになる、と思った。
試合が始まると、私は昨日の疲れが残っているのか全く調子が出ない。思いっきりダナDanaの足を引っ張っていたが、彼女はからだも大きいが性格も豪快で、笑いながら楽しくプレーしてくれた。
交流大会なので、試合の後は勝ったチームが飲み物を奢ってくれることが多い。
ダナDanaはいつもビールを飲み、試合の合間は木陰で昼寝している。
結局試合は全敗だったが、ダナDanaは赤い顔をして豪快にティールを決めていた。
2回の不戦勝があったので記録的には2勝3敗だったが、まあまあの成績だったわね、とダナDanaは満足そうだった。
ただ2回の不戦勝があったので私達の最終試合が始まったのは夕方7時近くだった。
もう本大会も表彰式も終わり、大多数の選手も帰路につき、出店も片付け始めていた。
そんな寂しい雰囲気の中で試合をしていると、この試合が今回のフランス滞在の最終試合だなという感慨が満ちてきた。
他の試合が終わってきたので、観客が私達のテランの周りに集まってきた。
その中にはクーロンCourlonの仲間たちもいた。
彼らは私が良いプレーをする度に”ビアン!マサ!”と声援を送ってくれ、
また下手なプレーをすると”マサ〜〜”とため息のような声援に変わった。
しかしみんな笑顔で、私の最後の試合とわかっているのか、ずっと声援を続けてくれた。
最後の試合に負けて、勝ったシルヴァンSylvain夫婦に奢ってもらったビールをダナDanaと一緒に飲んだ。
こうして3ヶ月に渡る私のペタンク修業も終わった。
また今年も最後は負けだった。
日が陰り始めたテランには涼しい風が吹き始めた。
ペタンクの大会はいつもこうだ。
日本でもフランスでも。
一日の長い戦いが終わると、日中の熱気が嘘だったように会場は寂しく暮れ始める。
心地良い疲れで一日を振り返ると、勝ち負けを忘れて懸命に戦った自分のことしか思い出せない。
帰り道で大柄なフランス人の親子とすれ違った。
今日最初に戦った二人だ。
さようなら、また会おう、と挨拶してくれた。
そう、また会おう。
また会って、またペタンクで戦おう。
この名前も知らないフランス人の親子と、何時どこで会えるのだろうか?
いや、きっと会える。ペタンクを続けていく限り。
我々は同じペタンクールpétanqueurだ。
最後の写真が、このペタンク修行旅行を、全て表しているような、素敵な写真ですね❣️
写真を撮っている方も、夕日の影で参加、、、情緒を感じます。
すっかり、フランス人ペタンクールに溶け込んで、『どれが日本人でしょう❓』っていう、クイズができそうな1枚ですね〜笑
まだまだ続編がありそうな、、、ペタンク修行お疲れ様でした。
日本は暑い夏、真っ只中です。(コロナも❗️)
気をつけてお帰りください❣️