昨日は久しぶりにペタンクをした(といってもおしゃべりが長く、2ゲームしただけだ)。
しかし、毎晩Raluy家の食卓で長い夕食をともにしていると、ペタンクの話になることが多い。
もちろんフランス語で話すから、私にはほとんど理解は出来ないが、その中で少し聞き取れて記憶に残ったペタンク話を都度紹介したいと思う。
今回紹介するのは伝説のプレイヤー アンジュ・アルコラオAnge Arcolao(通称べベール・ド・カーニュ Bébert de Cagne )だ。
最高のペタンクプレイヤーは誰か?という話題が出た時、私は現代ではフィリップ・カンテかな?と答えたら、
確かにそうかも知れないが、歴代最高のプレイヤーはAnge Arcolaoだ、とRaluyさんが答えた。
えっ?それってべベール・ド・カーニュ (Bébert de Cagne)のこと?
と私が言ったら、
お前、よくBébert de Cagne を知っていたな?と驚かれた。
私はたまたま「Passion… Petanque」 というペタンク歴史の漫画本を読んだので、その名前だけは知っていたのだ。
(このフランス漫画本については後日詳しく語る予定)
確かにカンテもラクロワもディラン・ロシェも素晴らしいプレイヤーだが、べベール・ド・カーニュは格が違う!
とRaluyさんが言う。
言うまでもなくフランスのペタンクの歴史は日本より長く、優秀なプレイヤーも数多くいたことだろう。しかしその殆どは日本では知られていない。
ペタンクの歴史も文化も伝わらず、単に玉転がしのルールのみが伝わっているだけだ。
アンジュ・アルコラオ(Ange Arcolao)は1929年に南仏ニースに近いカーニュ村(Cagne sur mer)で生まれた。
だから、通称べベール・ド・カーニュ(カーニュ村のべベール)と呼ばれたそうだ。
記録では、1966年の全仏選手権シングルスの初代チャンピオン、
ティニ(Tini)プレクスラ(Prescura)と組んだトリプルスで1976年に全仏選手権優勝、
息子のクリスチャン(Christian)とザンガレッリ(Zangarelli)と組んだトリプルスで1986年の全仏選手権優勝、とある。
確かに一流の選手であったことは間違いない。
どこがそんなに凄いプレイヤーだったんですか?
と私が訊いたら、
Raluyさんはこんな逸話を紹介してくれた。
あるゲームでビュット近くに相手チームのブールが2球あった。こちらの残りブールは1球。
べベールはティールで相手の1球を打ち出し、その打ち出したブールが残りのもう1球を打ち出した。
つまり、1球で2球をティールしたわけだ。
もう一つある。
相手チームのブールが木の陰に入り見えなくなった。
べベールは1球を木の横側にポワンテした。
そして2球目でそのポワンテした自分のブールをティールし、打ち出した自分のブールが木の陰の相手ブールを打ち出した、そうだ。
どうだ、凄いだろう!とRaluy さん。
聞いていた奥さんのAnne Pauleアンヌポールが、
”Par hazard? 偶然じゃないの?”
と言い、私も頷いたところ。
違う!
俺は彼と何度も一緒に試合に出たが、彼は何度もそういうプレーをした!
と、Raluyさんは譲らない。
ふーん、まさに伝説のプレイヤーだな!
“ペタンク夜話(その1)ブールの魔術師べベール・ド・カーニュ” への2件の返信